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2008/8/24 いざ、出陣!!静岡県立がんセンターはかなり高台にあり、天気が良い日は富士山が一望できる、とてもグッドなロケーションにあります。
そして新設ということもあり、まるでホテル並みの構造になっています。
フロアには自動演奏するピアノがあったり、花壇の中を散歩できる庭園があったり、11階には展望浴場があったり・・・
一般病院にはない、穏やかな空間がそこにはあります。
セミナーに出席するため、何度もここには足を運んでいましたが、患者として来るのは初めてです。
医療関係者なら誰でもそうだと思いますが、自分の病院とどこがどのように違うのか、つい観察してしまいます。
当センターは設備だけではなく、外来受診や入院受付、セカンドオピニオンなども様々な工夫もされていました!
例えば、受診受付をすると、一人一台にポケベル様の呼び出し機が渡され、自分の番になる時にバイブが鳴って知らせてくれます。
大勢の前で「○○さまぁ~」と呼ばれないので、プライベートの侵害を受けずに済むのが嬉しい!
患者さん中心のサービスを感じ、感心しながら自分の順番を待ちました。
「solitary fibrous tumor という名前の軟部腫瘍です。ほぼ良性であることが多いが稀に悪性のこともあり、初期治療が非常に大切です。摘出した後も再発チェックをしっかり行っていく必要があります。あまり症例がないものであるので、専門性の高い所で治療を受けた方がよいでしょう。ご自分の病院で手術を受けるのも悪くはないと思いますが、僕はここでの治療をお勧めします。」
整形外科医のT先生が、解りやすく説明してくれました。
そして、
「あなたの病院の整形外科のO先生が、僕に生検の組織検体を送ってきてくれてました。それをみても、この病名に間違いないと思われます」
と。
私の主治医は形成外科のH先生だったはずなのに!
確かにセカンドオピニオンの話はO先生から出たとH先生は言っていましたが、まさか、O先生から直接ここに私の検体を送るとは・・
しかも私、同じ病院なのにO先生とは面識がないんですよ・・
しかもO先生は、かなりお偉い位置にいる先生・・
それだけ必要性を感じて、O先生は動いてくれたってことなのでしょう。
“がんセンターで治療を受けよう”
そう決めました。
その旨をT先生に伝えると、「解りました」と笑顔で答え、手術日の決定、入院予約、術前検査予約などをオーダー入力し始めました。
その様子をみて「本当にここでの治療が始まるんだ」と、実感しました。
後日、全身チェックのためにPET-CTと造影MRIを受けました。
PETはがんの診断や転移、再発のチェックに使われるようになった新しい画像診断法ですが、この検査料がバカ高い!!
保険が利かないと8~9万円かかります。
T先生は貧困Nsである私のことを考え、保険適用となるようある診断名をつけてくれました。
「原発不明癌」
その文字を見ただけで、正に「が~ん!!」です・・・w
でもその結果、他の臓器には悪いものは見当たらないとのことだったので一安心しました。
検査の結果が良かったこともあり、その後は精神的に落ち着いた日々を過ごすことが出来ました。
今は、がんセンターで高度医療を受ける機会を得たことを幸運と思い、しっかり自分の身体と、病と、向き合っていこうという思いで溢れています。
手術日が近づくにつれ、たくさんの友人から、患者さんから、そして両親から、激励の言葉をもらいました。
皆さんの温かい声援を、私の内なる治癒力に変えて頑張っていこうと思います。
では明日から、行って参ります!!
2008/8/17 揺れる心自分にとってショックなこと(身近な人の死など)が起こったとき、人は「危機の段階」を辿りがらそのことを受容するといわれています。
これをキュブラー・ロスのモデルといいます。
否認→怒り→取引→抑うつ→受容
時間経過とともに、これらの状態を行ったり戻ったりしながら少しずつ受容する方向に向かっていく。
これを「適応」といい、それがうまくいかないと「適応障害」となり、うつや不眠を発症してしまいますが、実はがん患者さんの1/3は、適応障害になっているといわれています。
これを学んだときは、「ふ~ん」と思ってたけど、実際に自分も同じルートを辿っていっていることが驚きでした。
周囲への怒り、自責、後悔、抑うつ、すべてを感じます。 そして、これは病名がはっきりしていない段階から始まっているんだということもわかりました。がんセンターで、何を言われるのだろうか。
考えると余計落ち込むのでなるべく考えないようにしていました。
そんな中、7月4、5日に静岡市で第13回日本緩和医療学会学術大会がありました。
現在院内の緩和ケアサポートチームに入っている私は、参加することになっていましたが、実は当日まで行くのを躊躇っていました。
今のこの心理状態で、何かを学ぶことができるのだろうかと。
でもこのためにお休みを頂いていたし、じっとしていても辛いだけなので、思い切って出かけました。
「広げる・深める・つなげる~技と心~」をテーマに、日本の緩和ケアをより高めるためのプログラムが企画されていました。
その中で、看護師でありながらがんに罹患し長い闘病の後、ある患者の会を設立した方の演題がありました。
その方の言葉が、深く深く胸に響きます。
それは患者だった時のその方の思い、そして今の私の思いそのものでした。
涙が溢れて止まりませんでした。
学会終了時、聖パウロ会の方々が本などの販売をしていました。
私はそこで小さな詩集と、クロス、マリア像が入ったストラップを買いました。
無宗教だけど、時には神に頼ったっていいよね。
そして7月9日。
午前中仕事をしていたけど、気が気ではありません。
時間になり、うちの病院で撮ったCT,MRIなどの画像をもらってからがんセンターに向かいました。
続く
2008/8/15 患者に成った「がんセンターに行ってください」
そう言われた日、まず父親に電話しました。
状況が変わってきたことの報告もそうですが、かなり動揺していて何かせずにはおれなかったのです。
「がんセンターにセカンドオピニオンを受けろと言われた。それによってはセンターで治療することになるかもしれん」
「そうか。えらいことになったな。まぁ、またはっきり分かったら連絡してこい。それから、これは会った時に話そう思っていたんだけど・・」
と、父親は実家に戻ってきてほしい旨を話し、電話を切りました。
将来的には自分が両親の面倒をみることを考えていましたが、今は自分のことで精一杯な状態です。
それにここへ来てまだ1年半。
彼とはうまくいかなくなったけど、もう少し先のメドが立つまで待っていてほしかった。
今それを直接言われたことでさらにショックを受けました。
「今度がんセンターに行けだって!それに父親がさ・・」
18年ぐらいの付き合いになる友人にメールをしました。
ライトな口調で書いたけど、何もかもがショックであることを彼女には解ってほしいと思いました。
がん看護に従事している彼女だから、私の全てを知っている彼女だから、今の私の複雑な心中を解ってくれると思っていたのです。
身体のことや、両親のこと・・・。 彼女が何て言ってくれるか待ちました。
返事は次の日にきました。
「そろそろ自分のことばかりではなくて、親のことをかんがえないかんと思うよ。散々迷惑かけてるんだから」
期待していたのとは違う言葉でした。
こんな言葉を聞きたかったんじゃない。
売り言葉に買い言葉のようなやりとりの後、
「ナイフで傷口をえぐるような思いを受けるあなたの言葉はもうたくさんだ」
こう言ってしまいました。
以後、彼女からの返事はありませんでした。
一時の感情で、その日私は、大切な友情を壊してしまいました。
癌かもしれない。悪性かもしれない。なんで自分がこんなことになったのか。今まで散々抗がん剤に触れてきたから発がんしたのか。悪いことばかりやってきたから、親不孝なことばかりやってきたから罰があたったのか。もっと早く気付けなかったのか。術後も化学療法などの治療が必要なのか。働けなくなったらどうやって生活すればいいのか。
こんなことばかり考えるようになりました。
不安は次から次へと湧いてくるのに、解消する術は見いだせない。
いろんな人にメールで状況を説明します。でも自分の心に響く言葉が返ってこない。
ではどんな言葉を期待しているのか。それすらも解らないのです。
笑顔が減っていき、仕事にも集中力がなくなりました。 ただ、みんなの笑い声が妙に耳につき、腹立だしく感じます。イラついているのが、そして周りにそれをかもし出しているのが自分でも分かります。
でも、自制できない。
みんなとの距離を感じ、一人だけ取り残されたような激しい孤独を感じるようになりました。
ただ患者さんと話している時は、何故か気分が落ち着きました。
患者さんの発する言葉ひとつひとつが、自分の思いとリンクするのを感じたのです。
それが解ったとき、
「自分は医療を提供する側から、受ける側に変わったんだ」
そう思いました。
続く
2008/8/8 やっぱり生検! そして・・・さて。
あれから数日後、仕事中に主治医のDrHから電話がかかってきました。
「やっぱり手術前に生検させてもらいたいので、今週の木曜日に形成外来に来てもらえませんか」
生検針でブスッっと刺して、組織を採って終わりだと思っていたので、軽いノリで「では行きま~す」と答えました。
その木曜日。
15時半ぐらいに形成外科に呼ばれたので行ったら、外来には形成外科医がほぼ全員揃っていました。
顔馴染みの看護師さんが生検の準備をしていますが、妙に重々しい空気が漂います。
しかも縫合セットや局部麻酔薬がたんまり置いてあるし・・・
やられた! 切開生検だぁ!!!!!!
ここでメスを入れるんかぁ!!
私も医療者の端くれです。そんな動揺を隠して “解っていましたよ。ささっ、おやりなさい”的に振舞います。
しかし、カチャカチャ聞こえる器具の音や、先生の声、肌に触れる手の動きにちょ~敏感になっており、そこから現在何が行われているか頭の中で妄想しまくってました。
血液が背中をつたう感じが何度もし、2回麻酔を追加してメスを入れて切開創を広げてる・・
助手の先生が筋鈎(創部を広げる器具)を思いっきり引っ張ってる・・・
腫瘍部にたどり着いてから、2回も組織を採ってる・・・・
やっと縫合だと思ったら、バイポーラ(電気で焼却し止血する器具)使ってるし、ペンローズ留置(創部内に血が貯まらないように管を留置してそこから排液させること)してる・・・・・
長かった。本当に長い時間がかかってました。
その夜は創部が痛いし、仰向けになれないし、3日間ぐらい仕事にも支障をきたしていました。
それを見かねて仕事場の人たちが、オペ後1週間取っていた休みを2週間にするよう、管理師長に交渉してくれてました。
「切開生検だけであれだけダメージがある。オペ後はもっと大変だと思うから長く療養した方がいいだろう」と。
その思いに、感謝です!
「生検してから1週間後には検査の結果が出ているでしょう」
そう言われていたので、結果を聞きに行きました。
しかし、あったのは仮報告書。
仮報告:病理上、神経鞘腫もしくは血管周皮種が疑われるので、CD34、S-100の染色体試験施行後報告します。
まだ正体がわからないんだ・・・
この曖昧さが不気味に思え、先生に問いました。
「どちらにしても、それほど悪いものではないんですよね?」
「う~ん」と首をかしげながら、「とりあえず結果を待ちましょう」と答えにならない返答をしていました。
軟部腫瘍と言われてからネットなどで調べてたけど良性なのか悪性なのかはっきり明記してあるものがなく、どんどん不安が高まっていく中、全身麻酔に備えて麻酔科受診し、パジャマやT字帯など買って入院準備をし始めていました。オペする気満々モード突入です☆
そして本報告が届きました。
本報告書:CD34陽性にて血管周皮腫と考えられます。
H先生が、紙に疾患名を書きながら説明してくれました。
「これは血管由来のもので、良性と悪性の中間群といわれていますがこの病院ではあまり症例がないのです。そこで、この結果を整形外科のO先生に見せて相談した結果、県立がんセンターへセカンドオピニオンした方がいいと言われました。場合によってはそちらで治療を受けた方が良いかと思われます。今からがんセンターに予約をするので、ここで撮った画像を持って行ってきてください。それによって来週の手術は延期もしくは中止になるかもしれません」
がんセンター!?????? 私、「癌」なんですか・・・・?
頭の中が真っ白になりました。
本当に、一瞬頭の中が「無」になったんです。
と同時に、「やっぱり癌か・・・」とも思いました。
色々調べていて「もしかしたら・・・」と、そんなことも考えていたのです。
約1時間後、がんセンターから予約の日時がFAXで送られてきました。
「7月9日・14時 整形外科セカンドオピニオン」
これを受け取った顔見知りのNs達が口々に私に言います。
「がんセンターに行くんだって? 大丈夫なの??」
「自分でも信じられないよ!なんだか人事みたいな感じぃ~」
そんなことを言っていましたが、この日から私の苦悩は始りました。
続く
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